有限会社 多磨 一生に一枚は素敵な絵画を持っておきたい そんな方は、 有限会社 多磨代表取締役 ギャラリー多磨の歩み 「 手に職をつけろ 」 それが父の口癖でした。 こんにちは、ギャラリー多磨の舌間と申します。 私は、この業界にお世話になり23年となりますが、実は、美術大学を出た訳でもなく 福岡の工業高校建築科を卒業した私は、もともと建築設計士を目指していたのですが 「 手に職をつけろ 」 これが父の口癖で、技術を身に就けていれば生活に困ることにはならないだろうという 親心の表れであったと思います。 特に大きな夢もなかった私は、ただなんとなくその道を選んだような気がします。 当時、1970年代後半には「 ダウン・タウン・ブギウギバンド 」が人気だった 今、思えば目的もなく毎日を過ごしていただけだったのです。 ただ、熱狂的なビートルズファンだった私は、毎日仕事が終わるといつもビートルズの レコードを掛け、その音色に安らぎやエネルギーを感じていたのでした。 そして音楽のように、人の心に感動を与えることが出来るような何かがあるのか その時の私は想像すらできませんでした。 「 大阪の友人を訪ねて 」・・・ 整備士の仕事もいつのまにか8年目を向かえた26歳の夏、大阪の友人を訪ねたのが 私の友人は、書籍や百科事典のセールスマンで、スーツにネクタイ姿・・・ましてや
「 俺の会社で研修生を募集しているからやってみないか 」との事 私は、即座に返事をしていました・・・「 よし、やってみるか 」・・・・・
友人の紹介ということもあり、順調に面接をパスした私は、一週間の期間をいただき
「 絵画との出会い 」 人生初めての営業、セールスの世界・・・ 「 友人のあいつにできて、俺にできない訳がない 」そう思っていた私は、屈辱を
「 クビかあ~ 」・・・・・ 部屋へ入った私に、上司は聞きます「 舌間君は、今売っている商品が好きか 」と 正直に「 あまり好きではありません 」そう答えた私に、上司は腕を組み、じっと 「 せっかく福岡から出てきて、このままでいいのか 」・・・・・ なにも答えられない私に、上司は、 「 別の事業部がある、そこで頑張ってみろ、このままでは終われんだろ 」・・・ それが、絵画事業部・・・私が、初めて絵画の世界に入ったキッカケとなったのです。 「 初めての絵画購入 」 絵画事業部へ移転となった私は、右も左も解らないまま、会社主催の展示会へと出向 会場には、100点以上に及ぶヨーロッパ作家の、版画作品が展示されていて美術展 問題なのは私に、絵が売れるのか? 研修期間も残り半月、ここでダメなら、後がない・・・・・ 展示会初日、新人の私は、受付の横で雑用ばかり、先輩たちの見事な接客を見ながら、
「 え! 」意表をつかれた私は、会場内を見渡し一枚の絵を指差していたのです。 その作品は、あの有名な作家 マルク・シャガールの作品で、「ダフニスとクロエ」 絵画の事を知らなかった私でも、マルク・シャガールの名前だけは知っていたという
勧めることができるの? 」 なるほど、筋は通っているし相手は女性、意地とプライドもあり 「 分かりました、買います 」と返事をしていたのです。
その絵を部屋に飾り、毎朝誓いました。 必ず先輩を追い越してみせると・・・ 勢いで買ったところもあったのですが、今となればその時の先輩には、 とても感謝しています。 今でもその絵を見ると、当時のことが思い出されなつかしく感じます。 「 初めてのお客様 」 展示会も5日目となる最終日の事です。 先輩スタッフ達も忙しくて、手のあいてる人はいなく、私は、そのお客様のところへ 50代半ばの方で、サラリーマン風・・・・・ 緊張のあまり、何を話せばいいのか分からない私は、聞かれたことに、無我夢中で説 15分程の会話の後、突然、こう言われたのです
「 本当ですか 」と聞き返した程でした。 そして、選んでいただいた作品が、女性画を専門に描く、カシニョールと言う作家の この方(岡本様)が、私から初めて買っていただいた、お客様となっていただいたの 今でも、この時の嬉しさと、感動は忘れてはいません。
私は、指定された部屋へお伺いすると、そこには先日の岡本様と、ベットに横になら 改めて、お話をお伺いしますと、なんと今日が奥様の誕生日で、ご主人様からのプレ 「 部屋が明るくなって、気分もいいわ、早く元気にならなくっちゃね 」と・・・
「 うん、それもあるけど研修生のあんたが、一生懸命に話してくれたからね、私も、 そうです、岡本様はすべてを知った上で私から買っていただいていたのです。
「 舌間さん、この絵のおかげで元気になりましたよ。 「 決意 」 絵画事業部に移り3ヶ月となった私は、まだまだ先輩たち程の成績は上げられません。 しかし、なんとか正式に社員として採用していただいたのです。 訪問販売には、あまり向いていなかった私は、催事(展示会)専門のスタッフとして この仕事を、私の一生の仕事にする、そう決意をしたのです。 福岡で目的もなく過ごしていた日々、そして音楽のように人の心を感動させるもの・・ そうです、あの「岡本様」が教えてくれたのです。 「 バブルで学んだ事 」 1983年、27歳の年、絵画事業部に異動してから1年が経ち、なんとか仕事にも 1983年と言えば、ちょうどバブルの全盛期という事もあり、売上も順調で私の周 まだ1年たらずの新人の私には、そんな話にも縁がなかったのですが、ただお客様に 「 ここの作品の中で、一番値段の上がるのはどれですか? 」 そうです、絵柄などは関係なく、ただ投資だけの為に絵画を観ておられたのです。
1ヶ月程考えた私は、別のジャンルを経験したかったこともあり、お世話になった上 日本絵画の世界を知らなかった私には、とても新鮮で同じ世界でもまったく別の世界 話には、何千万という日本絵画が、日々取引されていると聞いてはいても実際に取引 今になって思えば、絵画を投資の目的として取引される事が当たり前だったのかも知
突然悲劇は訪れたのです。 「 バブル崩壊、そして会社倒産・・・・・ 」 詳しい事はお話できませんが、株、不動産投資の失敗が原因だったようです。 私も35歳となり、この年に仕事で知り合った女性と結婚をした年でもあったのです。 大変だったのは事実ですが、唯一助けられたのは、妻が明るい性格で、 「 また、一からやれば 」・・と言ってくれた事です。 私が、バブルで学んだ事は、ただ一つ 「 絵画は、投資目的で購入してはいけない
無職となった私は、妻の助けもあり3ヶ月程これからの事を考えていた時に、一本の その方は、何度かお会いした事のある東京の画商さんで、今度、新しく展示会販売の 独立して自分で始めるか、どこかへ就職するか、迷っていた私は、妻と相談・・・・ 「 東京もおもしろいんじゃない、それに新しい事業だったら 自分でやっていると思えば・・」 新規事業部だけに大切なのは売上、日々の売上と、月間売上達成の為に販売マシーン 本当に私自身が良いと思う作品、飾りたいと思う作品とは別に、与えられた作品だけ ただ私が、一つだけ信念として曲げなかったことがあります。 それは、「 強引なセールスは一切しない 」 この事は、必ず基本に置いていた事です。
1996年、4月23日、約束の3年が経ち退職する事になります。 当時のことを振り返り妻は、「この3年間は不安でたまらなかったけれど、きっと私 たちに、プラスになると自分に言い聞かせていた」といいます。 女性は強いですね。 「 故郷、福岡での0からの出発 」 大阪の友人を訪ねてから、いつのまにか13年、39歳となった私は、故郷の福岡で 福岡へ戻った私は、独立の準備を始めるのですが簡単にはいきません。 法人登記も、実績もない状態では店舗を借りることもできず、とりあえず自宅を事務 そして、妻と二人で決めたことがあったのです。
(2)どんなに苦しくとも、強引な販売はしないこと。 (3)投資目的だけの販売はしないこと。 (4)作家や、作品の仲人役に徹し、正しい情報を提供すること。 (5)一生お客様と付き合う覚悟を決めること。
ー 作家と作品の選択 ー 私が、大阪でこの仕事を始めた5年目の頃、ある方の紹介で、京都での個展にお伺い その個展は、「 鶴田一郎 美人画展 」 当時、化粧品のCMで話題となっていた作家で、独特の雰囲気と、力強い凛とした女性 私は、衝撃を受けそれ以来ファンとなったのです。
「 ギャラリー多磨の誕生 」 1996年8月、2ヶ月の準備期間を経て、福岡市天神の貸しギャラリーにて、初め この展示会が、活動の第一歩となったのです。 展示会での広告経費には、あまり予算をかけれなかった為、大阪や東京での実績に 比べますと、とてもきびしい状況ではあったのです。 それでも、最初のお客様ができた時には、妻と二人で喜んだものです。 月一度の展示会を、妻と二人で開催しながら、法人設立の準備と店舗探しに明け暮れ
そこには、 「 移転しました・・ご連絡は・・・ 」 テナント募集の広告ではなかったのですが、とりあえず空いていそうなところには、 さっそくその場から連絡・・・ テナントとしては空いてはいたのですが、なかなか厳しそうな雰囲気・・・
突然、「 え~ 私の後輩か・・・ 」 そうです、たまたま話を聞いていただいている方が、私の先輩だったのです。 そこから話は急転し、そして先輩はこう言ってくれたのです。
先輩、ありがとうございます。 「 有限会社 多磨の設立 」 店舗の契約に力を貸してくれた先輩や、資金に余裕のない私に、建築関係の仕事をして 実は、会社名の多磨はいたってシンプルなところから誕生しました。 それは、電話などで名前を聞かれたり、伝えたりする際に、シタマの、シ、がなかなか 多磨の多は、多くを、磨はみがくというところから、 「 多くの人から磨いていただき成長したい 」という願いと、 「 どんなに小さなことや、たわいのない事でも、磨き輝くものにしたい 」という願 いを込めての屋号としました。 1997年3月、ギャラリーのオープン企画としまして、 「 鶴田一郎 美人画展 作家来場サイン会 」を開催することとなったのです。 この年より、毎年3月には誕生記念祭として企画展を開催しながら、西日本を中心にし オープンから、9周年までの足跡を、写真にてご紹介しておりますのでご覧ください。 1周年 ギャラリーにて 2周年 天神エルガーラにて 3周年 天神エルガーラにて 4周年 天神エルガーラにて 5周年 鶴田原画展アクロスにて 6周年 シーホークホテルにて 7周年 エルガーラホールにて 8周年 エルガーラホールにて 9周年 エルガーラホールにて 右の写真は、毎年の記念祭に制作しています、 「 どうして絵を売っているのですか? 」 「 舌間さん、どうして絵を売っているのですか? 」と、聞かれる事があるのですが 私が、この業界に入った研修生の時、はじめて私から買っていただいた、あの「岡本様」 研修生だった私の、下手な説明で、 「 わかった、あんたから買うわ 」とあの一言・・・・・ そして、作品のお届けにお伺いした時のご主人のお話し・・・・・ 「 妻が入院してから、いろいろと考えることがあってね・・・ 寂しかった病室を少しでも明るくしてあげたかったし、20年も以上、 誕生日のプレゼントもしていなかった私は、病室で眠る妻の顔を見て
世界で生きてきた私も、そんな時代があったから、昔の私を思い出し たんですよ・・・・・ 」 そして、最後に言われた言葉、 「 舌間さん、女性になんか負けたらアカンで、ガンバリヤ・・・ 」 まだまだ、関西弁が身についていなかったあの頃、あの関西弁が、元気をくれたのです。 あれから23年、岡本様ご夫婦もお元気で、当時お持ちいただいた作品は娘さんが結婚
この絵にグチを言って聞いてもらいなさい 奥様は、そう娘さんにおっしゃったそうです。 親から子へ、そして大切な方へ受け継がれていく、そこにはご夫婦の想いが込め られているのです。 私はこの23年間で、たくさんのお客様とご縁があり、そして大切に飾っていただいて
逆に私は、絵画の持つ本当の役割を、お客様に教えていただいたと思っています。 「 この絵を見るとね・・・ ■ あの頃を思い出してね・・・ ■ 落ち着くんですよね・・・ お客様の、それぞれの想いが絵に込められているんです。 「 どうして、絵を売っているんですか? 」 一枚の絵画が、あなたの心の支えや、やすらぎ、そして大切な思い出の一つとして、 そして、そう思っていただける方とたくさん出会いたいからです。 それが今の私の、答えです。 「 どのような絵画を、ご紹介しているのですか? 」 私が、独立しました時に妻と二人で決めたことがありました。 (1)私たちが飾りたいと思うものを紹介すること。 (2)どんなに苦しくとも、強引な販売はしないこと。 (3)投資目的だけの販売はしないこと。 (4)作家や、作品の仲人役に徹し、正しい情報を提供すること。 (5)一生お客様と付き合う覚悟を決めること。 私たちは、作家や作品の選択には、、この5つのことを基本に考えているのですが、特 私は、今までにたくさんの作家と、お会いしたり、サイン会などの企画も行ってきまし 又、どこかでお話しできる機会があれば、お話したいと思っています。
(1)必ず、作品をご紹介する前に、作家と会って話をする。 (2)どんなに魅力的な作品で人気があっても、人柄や考え方が会わなければ、ご紹介 (3)お客様のことを、大切に思っていただいているか、どうか。
そして、私は、絵画をご紹介するということは、あなたと作家や作品の仲人役だと思っ
作品を通して、作家の想いを伝える、そして一生大切にできる大切な宝物として飾って 絵画は消耗品ではありません・・・だから、私は真剣に考えなくてはいけないのです。 「 一生大切に飾れる絵画を!! 」 これがギャラリー多磨のテーマです。 最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。 メルマガを発行しています このメルマガでは、正しい絵画の選び方や注意点、大切なチェックポイントなどを よろしければ、是非お読みください。 http://www.mag2.com/m/0000233279.html
ご質問、お問い合わせは下記まで 〒810-0071 福岡県福岡市南区平和1-23-62-511 TEL 092-533-3321 ギャラリー多磨 代表取締役 舌間 忠利
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