ギャラリー 多磨
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生に一枚は素敵な絵画を
持っておきたい。



でも、どのような絵画を、
どんな基準で選んで、
どこから買ったらいいのか解らない!
 そんなあなた、一度、
ギャラリー多磨をお試しください。

 
 有限会社 多磨 
ギャラリーTAMA
代表取締役 氏名
   shitama
           
ャラリー多磨の歩みと誕生
 
「 手に職をつけろ 
 
それが父の口癖でした。
こんにちは、ギャラリー多磨の舌間と申します。
私は、この業界にお世話になり25年となりますが、実は、美術大学を出た訳でもなく
絵を描く事も得意ではありません。
福岡の工業高校建築科を卒業した私は、もともと建築設計士を目指していたのですが
私の父が、自動車関係の仕事をしていたと言う事もあり、高校卒業の時には、いつの
まにか自動車整備士への道を選択していたのです。
 
 「 手に職をつけろ 」
これが父の口癖で、技術を身に就けていれば生活に困ることにはならないだろうという
親心の表れであったと思います。
特に大きな夢もなかった私は、ただなんとなくその道を選んだような気がします。
当時、1970年代後半には「 ダウン・タウン・ブギウギバンド 」が人気だった
事もあり、どこに行くにも整備士のトレードマーク、ツナギを着ていた事を思い出し
ます。
 
今、思えば目的もなく毎日を過ごしていただけだったのです。
ただ、熱狂的なビートルズファンだった私は、毎日仕事が終わるといつもビートルズの
レコードを掛け、その音色に安らぎやエネルギーを感じていたのでした。
そして音楽のように、人の心に感動を与えることが出来るような何かがあるのか
その時の私は想像すらできませんでした。
 



「 大阪の友人を訪ねて 」・・・
 
整備士の仕事もいつのまにか8年目を向かえた26歳の夏、大阪の友人を訪ねたのが
私の人生を大きく変える転機となったのです。
私の友人は、書籍や百科事典のセールスマンで、スーツにネクタイ姿・・・ましてや
私の5倍ほどの給料で、少々うらやましくもありショックでした。
整備士の仕事や現状に満足していなかった私は、別の世界を探していたのかもしれま
せん。

何かモヤモヤとしている私に、友人からの誘いがあったのは、休日も後残り3日とな
ったある日の事です。

友人もうすうす感じていたのか、
「 俺の会社で研修生を募集しているからやってみないか 」との事
私は、即座に返事をしていました・・・「 よし、やってみるか 」・・・・・

さっそく、友人のスーツを借り面接を受けることになります。
友人の紹介ということもあり、順調に面接をパスした私は、一週間の期間をいただき
生まれ故郷の福岡を出ることになります。

そして、私の新たな人生がスタートしたのです。
 
 
「 絵画との出会い 」
 
人生初めての営業、セールスの世界・・・
「 友人のあいつにできて、俺にできない訳がない 」そう思っていた私は、屈辱を
味わう事となるのです。
研修3ヶ月目に入っても売上は0・・まったく売れません。

ある日、自信をなくしている私に、上司からの呼び出し
私は覚悟を決めていました。
「 クビかあ~ 」・・・・・
部屋へ入った私に、上司は聞きます「 舌間君は、今売っている商品が好きか? 」と
本当のところは、そんな事は考えたこともないし、あまり好きではなかったのです。
正直に「 あまり好きではありません 」そう答えた私に、上司は腕を組み、じっと
考え込みながら、こう言ったのです。
 
「 せっかく福岡から出てきて、このままでいいのか? 」・・・・・
なにも答えられない私に、上司は、
「 別の事業部がある、そこで頑張ってみろ、このままでは終われんだろ 」・・・
そして、別事業部への移動を進めてくれたのです。
それが、絵画事業部・・・私が、初めて絵画の世界に入ったキッカケとなったのです。

 
「 初めての絵画購入 」
 
絵画事業部へ移転となった私は、右も左も解らないまま、会社主催の展示会へと出向
したのです。
会場には、100点以上に及ぶヨーロッパ作家の、版画作品が展示されていて美術展
とは縁のなかった私でも、ただ、とても綺麗で新鮮に感じた事は、つい最近のように
よく覚えています。
問題なのは私に、絵が売れるのか?
研修期間も残り半月、ここでダメなら、後がない・・・・・
展示会初日、新人の私は、受付の横で雑用ばかり、先輩たちの見事な接客を見ながら、
緊張の一日は終了します。
最後の営業ミーティングも終わりと思った・・・その時、

販売スタッフ売上NO1の先輩の一言、それも女性、

「 舌間さん、展示作品の中で一番好きなのは、どれ 」と聞かれたのです。
「 え! 」意表をつかれた私は、会場内を見渡し一枚の絵を指差していたのです。
その作品は、あの有名な作家 マルク・シャガールの作品で、「ダフニスとクロエ
というシリーズの版画作品だったのです。
絵画の事を知らなかった私でも、マルク・シャガールの名前だけは知っていたという
こともあり、ついついその絵を選んでいたのです。

先輩は、こうくり返します。

「 舌間さん、この仕事で実績を出したいのなら、この絵を買いなさい・・・・
                     
  そうすれば、売れるようになるから、自分で飾ってもいないのに、どうして人に
  勧めることができるの? 」
なるほど、筋は通っているし相手は女性、意地とプライドもあり
「 分かりました、買います 」と返事をしていたのです。

価格は、480.000円、もちろん現金で払える訳もなく、36回の分割払いにし
ていただき毎月16.200円の支払い、これが生まれて初めての、絵画コレクショ
ンとなったのです。
その絵を部屋に飾り、毎朝誓いました。
必ず先輩を追い越してみせると・・・
勢いで買ったところもあったのですが、今となればその時の先輩には、
とても感謝しています。
今でもその絵を見ると、当時のことが思い出されなつかしく感じます。

 
 初めてのお客様 
 
展示会も5日目となる最終日の事です。
いつもながら、新人の私は雑用係で受付の横に、立っていると、一人のお客様が手招
きをします。
先輩スタッフ達も忙しくて、手のあいてる人はいなく、私は、そのお客様のところへ
行き、接客をすることになるのです。
50代半ばの方で、サラリーマン風・・・・・
緊張のあまり、何を話せばいいのか分からない私は、聞かれたことに、無我夢中で説
明したようで、私自身はほとんど覚えていないのです。
15分程の会話の後、突然、こう言われたのです

「 よし、分かった、あんたから買うわ 」

私は、何が起きたのか解らず、
「 本当ですか 」と聞き返した程でした。
そして、選んでいただいた作品が、女性画を専門に描く、カシニョールと言う作家の
「 あじさい 」と言うとても綺麗な版画作品だったのです。
この方(岡本様)が、私から初めて買っていただいた、お客様となっていただいたの
です。
 
今でも、この時の嬉しさと、感動は忘れてはいません。

後日、私は作品のお届けにお伺いすることになるのですが、なんと、お届けするのが
病院のある一室だったのです。
私は、指定された部屋へお伺いすると、そこには先日の岡本様と、ベットに横になら
れた奥様・・・・・
改めて、お話をお伺いしますと、なんと今日が奥様の誕生日で、ご主人様からのプレ
ゼントだったのです。
何もご存知ではなかった奥様は、少し目に涙を浮かべておられ、とても喜んでいただ
いてる様子・・・
 「 部屋が明るくなって、気分もいいわ、早く元気にならなくっちゃね 」と・・・

私はこの時、なんとなくですが、絵画の持つ本当の役割みたいなものを教えていただ
いたような気がします。

帰り際に、岡本様は私に聞かれました、

「 舌間さん、どうしてこの絵を買ったと思う 」

私は、答えます「 この絵を気に入っていただいたからじゃないですか? 」・・・
「 うん、それもあるけど研修生のあんたが、一生懸命に話してくれたからね、私も、
営業の世界で生きてきたから、良く分かるよ・・それに女性のスタッフが、多いよう
だし、やりにくいだろ 」
そうです、岡本様はすべてを知った上で私から買っていただいていたのです。

そして最後に一言、

「 女になんか負けたらアカンで、ガンバリヤ 」・・・・・・

私は、感謝と嬉しさで病院を後にした、26歳の11月29日・・・・・・

数ヵ月後、私当てに一枚のハガキが届き、そこには、あの岡本様ご夫婦の元気な写真、
お二人の後ろには、あの時の絵が写っていたのです。
「 舌間さん、この絵のおかげで元気になりましたよ。
               
               仕事頑張ってくださいね 」と・・・・・
 
 決意 
 
絵画事業部に移り3ヶ月となった私は、まだまだ先輩たち程の成績は上げられません。
もちろん、あの先輩を追い抜くことはまだまだでした。
しかし、なんとか正式に社員として採用していただいたのです。
 
訪問販売には、あまり向いていなかった私は、催事(展示会)専門のスタッフとして
配属されることになりました。 そしてこの時に決めた事があります。
この仕事を、私の一生の仕事にする、そう決意をしたのです。
福岡で目的もなく過ごしていた日々、そして音楽のように人の心を感動させるもの・・
そうです、あの「岡本様」が教えてくれたのです。

 
「 バブルで学んだ事 」
 
1983年、27歳の年、絵画事業部に異動してから1年が経ち、なんとか仕事にも
なれた私は、展示会を回る日々に追われていたのです。
1983年と言えば、ちょうどバブルの全盛期という事もあり、売上も順調で私の周
りでも、ゴルフ会員権、株、不動産、そして絵画も同様「 儲かりますよ 」を合言
葉に、投資目的として取引されていたのです。
まだ1年たらずの新人の私には、そんな話にも縁がなかったのですが、ただお客様に
金融、証券、不動産関係の方が多かったのは事実で、良く聞かれたことがあります。
 
 ここの作品の中で、一番値段の上がるのはどれですか? 
そうです、絵柄などは関係なく、ただ投資だけの為に絵画を観ておられたのです。

当時、会社の方針もあり、ヨーロッパ作家の作品を中心にご紹介していた私は、3年
目を向かえた30歳の時、同業者で国内作家を中心に取り扱っている会社より、お誘
いを受けることになるのです。
1ヶ月程考えた私は、別のジャンルを経験したかったこともあり、お世話になった上
司に相談し、なんとか円満に退職、新たなジャンルでスタートを始めたのです。
日本絵画の世界を知らなかった私には、とても新鮮で同じ世界でもまったく別の世界
に感じたことを覚えています。
話には、何千万という日本絵画が、日々取引されていると聞いてはいても実際に取引
されている現実を見たときには、やはり興奮したものです。
今になって思えば、絵画を投資の目的として取引される事が当たり前だったのかも知
れません。
誰も、疑う事はなかったのです。

しかし、
突然悲劇は訪れたのです。
 
「 バブル崩壊、そして会社倒産・・・・・ 」

 
詳しい事はお話できませんが、株、不動産投資の失敗が原因だったようです。
私も35歳となり、この年に仕事で知り合った女性と結婚をした年でもあったのです。
妻は私とは別の画廊で、絵画と西洋アンティークを紹介しておりました。
大変だったのは事実ですが、唯一助けられたのは、妻が明るい性格で、
「 また、一からやれば 」・・と言ってくれた事です。
 
 私が、バブルで学んだ事は、ただ一つ
 
「 絵画は、投資目的で購入してはいけない
     そして、投資目的で販売してはいけない
             結果としてそうなったとしても 」
 

 販売マシーンとなった東京での3年間 
 
無職となった私は、妻の助けもあり3ヶ月程これからの事を考えていた時に、一本の
電話があったのです。
その方は、何度かお会いした事のある東京の画商さんで、今度、新しく展示会販売の
事業部を立ち上げたいので、手伝ってくれませんかとの事だったのです。
独立して自分で始めるか、どこかへ就職するか、迷っていた私は、妻と相談・・・・
独立資金などなかった私に、妻の一言、
「 東京もおもしろいんじゃない、それに新しい事業だったら
                       自分でやっていると思えば・・」
                    
妻の後押しで決断した私は、3年間という約束で東京での生活がスタートしたのです
 
新規事業部だけに大切なのは売上、日々の売上と、月間売上達成の為に販売マシーン
と化した私は、年間100回以上もの展示会を、わずか10数名のスタッフで開催
ただ走り続けたのです。
本当に私自身が良いと思う作品、飾りたいと思う作品とは別に、与えられた作品だけ
を売ることだけに集中した3年間だったのです。
ただ私が、一つだけ信念として曲げなかったことがあります。
それは、「 強引なセールスは一切しない 
この事は、必ず基本に置いていた事です。

東京での3年間は、いろいろ大変な事はありましたが、いろんな意味でとても勉強に
なった期間でした。
 
1996年、4月23日、約束の3年が経ち退職する事になります。
当時のことを振り返り妻は、「この3年間は不安でたまらなかったけれど、きっと私
たちに、プラスになると自分に言い聞かせていた」といいます。 女性は強いですね。
 
 
「 故郷、福岡での0からの出発 」
 
大阪の友人を訪ねてから、いつのまにか13年、39歳となった私は、故郷の福岡で
の独立を決意します。



東京へ行く時から決めていたことなので、ハードだった3年間を、なんとか頑張れた
のかもしれません。
 
福岡へ戻った私は、独立の準備を始めるのですが簡単にはいきません。
法人登記も、実績もない状態では店舗を借りることもできず、とりあえず自宅を事務
所にスタートしたのです。
そして、妻と二人で決めたことがあったのです。

(1)私たちが飾りたいと思うものを紹介すること。
(2)どんなに苦しくとも、強引な販売はしないこと。
(3)投資目的だけの販売はしないこと。
(4)作家や、作品の仲人役に徹し、正しい情報を提供すること。
(5)一生お客様と付き合う覚悟を決めること。

この5つを基本として決めたのです。
 
 作家と作品の選択 
 
 私が、大阪でこの仕事を始めた1年目の頃、ある方の紹介で、京都での個展にお伺い
 したことがあったのです。
 その個展は、「 鶴田一郎 美人画展 
 当時、化粧品のCMで話題となっていた作家で、独特の雰囲気と、力強い凛とした女性
 の姿、そして特徴のある切れ長の優しい目・・・・・
 私は、衝撃を受けそれ以来ファンとなったのです。

 私は、福岡でのスタートには、なんとしてもこの作家で始めたくて、版元と、作家へ
 の交渉をします。
 大阪にいた時にも多少の面識と、販売実績もあったことから、いずれ法人会社設立を
 条件に、販売契約をすることなったのです。
 
 
「 ギャラリー多磨の誕生 」
 
1996年8月、2ヶ月の準備期間を経て、福岡市天神の貸しギャラリーにて、初め
ての展示会を開催します。
この展示会が、活動の第一歩となったのです。
 
 展示会での広告経費には、あまり予算をかけれなかった為、大阪や東京での実績に
比べますと、とてもきびしい状況ではあったのです。
  それでも、最初のお客様ができた時には、妻と二人で喜んだものです。






 それから、半年後の1996年12月24日に資本金300万で有限会社多磨を

 設立することとなったのです。

 実は、会社名の多磨はいたってシンプルなところから誕生しました。


    ご紹介しました通り、私の苗字は、舌間(シタマ)といいますが、昔から不便に思って
 いたことがあるのです。

 それは、電話などで名前を聞かれたり、伝えたりする際に、シタマの、シ、がなかなか
  伝わりにくいので、シを取り、タマとしたのです。
 
 多磨の多は、多くを、磨はみがくというところから、
 「 多くの人から磨いていただき成長したい 」という願いと、
 「 どんなに小さなことや、たわいのない事でも、磨き輝くものにしたい 」という願
    いを込めての屋号としました。
 
そして、1997年3月ギャラリーのオープン企画としまして、
「 鶴田一郎 美人画展  作家来場サイン会 」を開催することとなったのです。
 
この年より、毎年3月には誕生記念祭として企画展を開催しながら、西日本を中心にし
た展示会を開催してきました。
 
オープンから、9周年までの足跡を、写真にてご紹介しておりますのでご覧ください。
     一周年    2周年    3周年
     1周年  ギャラリーにて     2周年 天神エルガーラにて    3周年 天神エルガーラにて
     4周年  5周年  6周年
    4周年 天神エルガーラにて   5周年 鶴田原画展アクロスにて   6周年 シーホークホテルにて
     7主年    8周年    9周年
     7周年 エルガーラホールにて  8周年 エルガーラホールにて    9周年 エルガーラホールにて
        右の写真は、毎年の記念祭に制作しています、                     記念ワイン          
作家のサイン入りラベルのワインですが、
お客様への感謝として、お渡ししているものです。

又、私たちの一年、一年のケジメとして、初心を忘れない為のものでもあります。
 
 
「 どうして絵を売っているのですか? 」
 
「 舌間さん、どうして絵を売っているのですか? 」と、聞かれる事があるのですが
私は、決して仕事だからとか、商売だからとは、間違っても言いません。
私が、この業界に入った研修生の時、はじめて私から買っていただいた、あの「岡本様」
が、すべての基本となっています。
研修生だった私の、下手な説明で、
「 わかった、あんたから買うわ 」とあの一言・・・・・
 そして、作品のお届けにお伺いした時のご主人のお話し・・・・・
 
「 妻が入院してから、いろいろと考えることがあってね・・・
 寂しかった病室を少しでも明るくしてあげたかったし、20年も以上、
 誕生日のプレゼントもしていなかった私は、病室で眠る妻の顔を見て
  
 急に何かしてあげたくなったんですよ・・・・・
  
 それに舌間さん、あなたが研修生だったことも解っていたし、営業の
 世界で生きてきた私も、そんな時代があったから、昔の私を思い出し
 たんですよ・・・・・ 」
 
そして、最後に言われた言葉、
 舌間さん、女性になんか負けたらアカンで、ガンバリヤ・・・ 
まだまだ、関西弁が身についていなかったあの頃、あの関西弁が元気をくれたのです。
 
あれから23年、岡本様ご夫婦もお元気で、当時お持ちいただいた作品は娘さんが結婚
されたときに、奥様の記念として譲られたそうです。

「 辛いことや、悲しいことがあったときには、
        この絵にグチを言って聞いてもらいなさい
 
               きっと、元気になれるからね・・・
 」と・・・
 奥様は、そう娘さんにおっしゃったそうです。
 親から子へ、そして大切な方へ受け継がれていく、そこにはご夫婦の想いが込め
 られているのです。
 
私はこの23年間で、たくさんのお客様とご縁があり、そして大切に飾っていただいて
います。

私が、この業界に入る前の絵画に対するイメージは、贅沢品で裕福な方ばかりが購入さ
れるものだと思っていたのですが、まったくそんな事はありませんでした。
私どものお客様には申し訳ないのですが、決して裕福な方ばかりではありません。
 
逆に私は、絵画の持つ本当の役割を、お客様に教えていただいたと思っています。
 
 「 この絵を見るとね・・・
 
        ■   元気になるんですよね・・・
            あの頃を思い出してね・・・
              落ち着くんですよね・・・
  
  お客様の、それぞれの想いが絵に込められているんです。

   
 どうして、絵を売っているんですか? 
 
 一枚の絵画が、あなたの心の支えや、やすらぎ、そして大切な思い出の一つとして、
 
お役に立てる、そんな絵画をご紹介したいのです。
 そして、そう思っていただける方とたくさん出会いたいからです。
 それが今の私の答えです。
 
 
「 どのような絵画を、ご紹介しているのですか? 」
私が、独立しました時に妻と二人で決めたことがありました。
 
(1)私たちが飾りたいと思うものを紹介すること。
(2)どんなに苦しくとも、強引な販売はしないこと。
(3)投資目的だけの販売はしないこと。
(4)作家や、作品の仲人役に徹し、正しい情報を提供すること。
(5)一生お客様と付き合う覚悟を決めること。

 
私たちは、作家や作品の選択には、、この5つのことを基本に考えているのですが、
に大切にしていますのは、作家の選択なのです。
私は、今までにたくさんの作家と、お会いしたり、サイン会などの企画も行ってきまし
たが、多くのエピソードや失敗も経験させていただきました。
又、どこかでお話しできる機会があれば、お話したいと思っています。

そこで、作家の選択で大切にしている、3つのことがあります。

 
(1)必ず、作品をご紹介する前に、作家と会って話をする。
(2)どんなに魅力的な作品で人気があっても、人柄や考え方が会わなければ、ご紹介
   はしない。
(3)お客様のことを、大切に思っていただいているか、どうか。

この3つのことが、私たちの基本となっているのです。
 
そして、私は、絵画をご紹介するということは、あなたと作家や作品の仲人役だと思っ
ています。 
 
作品をご紹介することは簡単ですが、もっと大切なことは、その作品を制作されている
作家(画家)の人柄や、作品への想い、こだわりの方を大切にしたいのです。
作品を通して、作家の想いを伝える、そして一生大切にできる大切な宝物として飾って
いただきたいのです。
絵画は消耗品ではありません・・・だから、私は真剣に考えなくてはいけないのです。
 
「 一生大切に飾れる絵画を!! 」
 
 これがギャラリー多磨のテーマです。
 最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

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   ギャラリー多磨  代表取締役  舌間 忠利